カーサ・ベールの歴史

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始まりは、おせっかいオジサンから。

昭和40年代の「やすや」お店前にて

時は昭和40年代、長野市善光寺に程近い場所にひときわ賑わう町「桜枝町」はありました。
当時この界隈は、善光寺を中心に商店がひしめき合う大変賑やかで活気溢れる町でした。
そんな商店街の一角に、歯磨き粉からトイレットペーパー・化粧品にいたるまで、何でも揃う日用雑貨のお店「やすや」はありました。今で言うコンビニ?のようなこのお店は、朝から晩まで一日中多くのお客さんが来店し、愉快な会話が飛び交う明るく賑やかなお店。
その店主、この人こそがカーサ・ベールの原点、「忠茂」さんです。

忠茂さん

この忠茂さん、この界隈ではチョッと有名な人で、困った人は放っておけないとても面倒見の良いおじさんだったのです。問屋の営業さんが「在庫処分できなくて困ってるんですぅ」なんて言っていると、「いいよ、ウチで全部買ってやるよ」とか、近所のご夫婦がケンカしてると聞けば、「まーまー」と割って入り仲直りのお手伝いなど。とにかく困った人を放っておけない「おせっかいなオジサン」でした。その上、人一倍人付き合いの良い人ですから、ある時なんか、東京出張から帰る電車の中で偶然知り合った全く見ず知らずの人と仲良くなり、自宅まで4、5人連れて帰ってきた、なんて事も珍しくなかったようです。

そんな忠茂さんですから、日々色々な話が舞い込んできます。「今度選挙に出るんだけど応援してもらえないかね…」なんて頼まれ事から、「今度商店街でイベントやるんだけどなんかいい案ないかね…」などなど。頼まれると放っておけない性分ですから、自分の商売そっちのけで全部引き受けて頑張っちゃうんです。

そんな面倒見のよい忠茂さんのウワサを聞きつけ、その内あちらこちらから「ウチの息子にいい嫁さんいないかね…」なんて話がチョコチョコと入ってくるようになったそうです。これまた放っておけない忠茂さんは、自分の持つ人脈を手繰りお嫁さん候補をさがし歩く。
そう、そうやってお見合い相手をお世話する「おせっかいオジサン」は誕生していったのです。

ほっとけない DNA

今から50年程前の当時は、お見合いで結婚相手を見つけるのはごく一般的な時代。
忠茂さんの所に相談に行けば、お見合い話をもってきてくれるらしい…。そんな話がそこかしこで人伝で広がり、次から次へと縁談話が持ち込まれてきたようです。
そんな「おせっかいオジサン」忠茂さんを父親に持ち、幼い頃から後姿を見て育った一人娘「晴美」は、知らず知らずのうちに父親と同じ「放っておけないDNA」を見事開花させ、今に至るのです。
そう、長野結婚相談室カーサ・ベール主任カウンセラー宮澤晴美は、忠茂さんの「放っておけないDNA」を受け継ぐ、現代版「おせっかい姉さん」なのです。

主任カウンセラー
宮澤 晴美

長野結婚相談室カーサ・ベールは「古くて新しい」心温まるお見合い文化を、今の時代に合わせた 新しいカタチでご提供する 人と人との心が触れ合う出逢いの場所です。
おせっかいオジサンを原点とする 私 おせっかい姉さん? が、皆様の「困った…」を父親「忠茂」から受け継ぐ「放っておけないDNA」で、幸せのトビラを開くお手伝いをさせていただきます。

一緒に将来のお話しましょう。
何かのヒント、お伝えできるかも知れません。